エゴン・ミュラー

ドイツが世界に誇る世界最高峰の白ワイン生産者

世界のワイン愛好家から「ドイツワインのロマネ・コンティとも言える」、「比類なきワイン」と絶賛されるほどの傑作を生みだし続けているエゴン・ミュラー家。あくまでリースリングにこだわり、厳選された最良のブドウ畑から、ごくごく少量のリースリングしか収穫せず、天然酵母による伝統的な醸造法を守り続けています。

エゴン・ミュラーはそもそも、糖度に基づいた現在のドイツワインのシステム自体に懐疑的で、ワインの格付けは糖度ではなく質によって行われるべきであると考えています。法が定めた品質表示のハードルは低すぎると、独自の厳しいハードルを設け、納得のいくワインしか造りません。

現当主エゴン4世(=5代目当主)は、ガイゼンハイムワイン醸造大学で学んだあと、フランス、アメリカ、そして日本でも研鑽を積み世界各地のワイン造りの現場を見てきました。2001年1月15日に先代エゴン3世が亡くなった後も、先代の意思を引き継ぎ、歴史と伝統に培われた世界最高峰の白ワインを生み出しています。先代エゴン3世の「ワインの品質はブドウ畑によって決まる。セラーではブドウ畑の力量を超えることが出来ないが、ブドウの潜在能力をボトルの中で最大限に表現することが出来る」との言葉通りに、エゴン4世もまた、ワイン畑での仕事を先頭きって指揮するたくましい栽培家で、1993年に誕生したプリムファミリー(世界を代表する生産者の集まり)の一員として、スロヴェキアなどでのワイン造りにも、意欲的に取り組んでいます。

ドイツワインの核、シャルツホーフベルク

モーゼルに注ぐザール川流域地区は、気温が低くスレート質土壌が強いため、いきいきとした冴えわたった酸味を持ち、ミネラル分が豊かなのが特徴です。甘さと酸味のバランスに優れたワインを生み出しています。シャルツホーフベルクはその代表ともいえる畑! もしドイツに畑の格付け制度が出来たなら、間違いなく特級格付けの筆頭にランクされると言われています。

古代ローマ人によって作られたシャルツホーフベルクは、11世紀にベネディクト派修道院によってモーゼル川の支流ザール周辺に開墾され、トリアーの聖母マリア修道院に帰属していました。それがフランス革命後のナポレオン軍の征服によって接収され、後にフランス政府の競売にかけられることとなり、1797年、その競売の際に買い取ったのが、ジャン・ジャック・コッホ(エゴン・ミュラーの先祖)でした。その後この畑は一族によって守られ続け、現在の当主であるエゴン・ミュラーは彼から数えて4代目に当たります。ちなみに、シャルツホーフベルクのScharzは、ラテン語のsarcire(新耕地)から来ており、その起源がローマ時代まで遡ることができるほど由緒正しい畑なのです。エゴン・ミュラー家では、シャルツホーフベルク以外にも、ヴィルティンゲンやザールブルク、オックフェンなど複数の畑を所有しており、それぞれの畑の個性を生かしたワインを生み出しています。なんと言っても特筆すべきは、現在、シャルツホーフベルク27haの畑の所有者8名の中で最も評価の高い、標高170m~320mのシャルツホーフベルクの核とも言える部分を約8ha所有し、そのうちの半分にはフィロキセラ禍以前、樹齢100年以上のリースリングが植えられていることです。

また、ドイツワインは通常、ラベルに村名+畑名を表記しなければなりませんが、5つのブドウ畑に限っては、村名を表示せずに畑名だけの表示が許されてる特別な単一畑(オルツタイルラーゲ)であり、シャルツホーフベルクは、もちろんそのひとつです。何においても例外を許さない厳格な気質のドイツ人が、ワインの表記で例外を許したこの事実は、いかにこの畑から造られるワインに敬意を表しているかがわかるエピソードです。 その人気ゆえ、オークションでも常にびっくりするような価格で取引され、なかなか手に入れることができません。比類なくエレガントな果実味とザール地区独特の生き生きとした冴えわたった酸味がたっぷり。リースリング種の高貴なる繊細さをお楽しみいただけます。

世界的にも貴重で、「超・高価格ワイン」として取引される、ドイツの至宝のひとつであり、ドイツワインの常識を覆すワインなのです。

世界中のワイン愛好家から「白ワインの女王」、「ドイツのロマネ・コンティ」と賞賛される、エゴン・ミュラーは『本当に良いものを最高の状態で飲んで欲しい。だからこそ法的な基準ではなく、自らのワインをテイスティングによって本当の品質で評価し、ランクを付ける。』そのことをモットーとし、最良の畑にて極限まで厳選し収量を抑えた最上のリースリングにこだわり、 天然酵母による伝統的な醸造方法でワインを仕立てています。

エゴン・ミュラーの歴史は古く、フランス革命後まで遡ります。11世紀のドイツでは、ベネディクト派の修道院により、シャルツホーフベルガーの畑が開墾されましたが、フランス革命の際に革命政府に没収されてしまいます。

しかし、その後1797年にこの土地をフランス政府よりコッホ家が譲り受けることになり、当時コッホ家の婿として迎えられたのがエゴン・ミュラー1世であったことから、エゴン・ミュラーのワイン造りの歴史が始まりました。 

現在は、5代目エゴン4世が当主としてワインを醸造。彼はガイゼンハイムワイン醸造大学で学んだあと、 フランス、アメリカ、そして日本など世界各地のワイン造りの現場で研鑽を積みました。

2001年1月15日に先代のエゴン3世が亡くなった後もその意思を引き継ぎ、歴史と伝統に培われた白ワインを生み出し続けています。

エゴン・ミュラーは技術だけでなく、ワイン造りに対する価値観や、独自の厳しいハードルを設け徹底して納得のいくワインしか造らないというこだわりを長い歴史の中で継承し続けています。

先代エゴン3世の「ワインの品質はブドウ畑によって決まる。セラーではブドウ畑の力量を超えることが出来ないが、 ブドウの潜在能力をボトルの中で最大限に表現することが出来る」との言葉通りに、 エゴン4世もまた、ワイン畑での仕事を先頭きって指揮するたくましい栽培家です。

ワイン造りにおいて重要視しているのが、“樹齢の長い古樹を尊重する”こと。古いものでは、第一次大戦以前から栽培されている古樹も存在しています。

古樹はブドウの収穫量も少なく非常にデリケートなため、化学肥料や除草剤、殺虫剤は使わず、有機栽培で年に何度も丹念に畑を耕すなど、出来る限り人の手で大切に育てます。

入念に剪定が繰り返され、収穫においても熟練の収穫者によって完熟したブドウを選別。醸造後は年間を通して7℃以下を保つ低温セラーで全て木樽で熟成されます。その後入念な仕上げによって、ようやく完成。

妥協を許さないその姿勢こそエゴン・ミュラーのワインが人々に魅了されている理由の一つでもあるのです。

「エゴン・ミュラーのワインを飲まずして、ドイツワインは語れない」故古賀守談