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  • カウンター台下棚

    年内最後の備品搬入。
    カウンターの内側がスッキリしました。

    北新地バー カウンター台下棚

  • 年末年始休業のお知らせ

    本年もお客様方には大変お世話に成有り難うございました。

    来年も変わらぬご愛顧宜しくお願い致します。

    下記の通り年末年始休業致しますのでこちらも併せて宜しくお願い致します。

    12月29日(土)〜1月6日(日)

    セラ・アンフィニィ

    店主・スタッフ一同

  • 昨夜の逸品

    海老と帆立貝柱とホワイトアスパラガスのグリエ

    北新地バー 海老と帆立貝柱とホワイトアスパラガスのグリエ

    カキフライ

    北新地バー カキフライ

    カキとの茸とベーコンのガーリックソテー

    北新地バー カキとの茸とベーコンのガーリックソテー

    帆立貝柱とマツタケのグリエ

    北新地バー 帆立貝柱とマツタケのグリエ

  • 1月のコースメニュー

    1月のコースメニュー

    ・季節の前菜盛り合わせ
    ・湯葉蒸し上げの蟹身あん掛け
    ・シャラン鴨とフォアグラのサラダ仕立て
    ・帆立貝柱の雲丹挟み揚げ
    ・長崎県大村牛ヒレ肉の「ビフカツ」デミグラスソース
    ・牡蛎と水菜のスパゲティーニ柚子胡椒風味
    ・本日のアイスクリームとフルーツ

    お一人様 ¥ 8,400(税・サ込み)
    ※前日迄にご予約下さい。
    ※他に、¥12,600、¥ 16,800のコースもございます。

  • ポル・ロジェ キュヴェ・サー・ウィンストン・チャーチル 1999

    チャーチル氏はシャンパーニュのことを

    In victory, deserve it.   In defeat, need it.

    「勝った時はご褒美に、負けたときは慰めに」必要だと常々仰ったそうです。

    ポル・ロジェ キュヴェ・サー・ウィンストン・チャーチル 1999 bottle ¥ 26,000

    北新地バー ポル・ロジェ キュヴェ・サー・ウィンストン・チャーチル 1999

    イギリスのチャーチル元首相の為に造られた、

    プレステージ・キュヴェ。

    気品溢れる最高のシャンパーニュ。

    ポル・ロジェ社は1849年に設立された家族経営のシャンパーニュ・ハウス。

    「気品と優美」を哲学とし、格調高いシャンパーニュを造り続けています。

    木樽を一切使用せずステンレス・タンクで発酵させることによって、

    ブドウ本来の繊細な味わいを引き出します。

    また、ルミュアージュ(動瓶)を重視し、

    今でも職人によって手作業で行う数少ないハウスです。

    その確かな品質と味わいは、 元イギリス首相チャーチル氏を虜にしたことでも有名。

    彼は自分のお気に入りの競走馬に「ポル・ロジェ」の名をつけ、その名を全世界に広めました。

    また、 2004年には英国王室御用達に任命されるなど、国際的に高い評価を得ています。

    シャンパーニュ造りの神髄とされる、いつも変わることないバランス良いブレンド。

    それこそがポル・ロジェのシャンパーニュが世界で愛される理由です。

    こちらは、ポル・ロジェのシャンパーニュをこよなく愛した

    元イギリス首相チャーチル氏へのオマージュを捧げたプレステージ・キュヴェ。

    力強くフル・ボディで、しっかりと熟成した彼の好みの味わいに仕上がっています。

    非常に古いグラン・クリュのブドウ樹から収穫された

    シャルドネとピノ・ノワールを使用しており、ピノ・ノワールが骨格、幅、強さを与え、シャルドネがエレガンス、フィネス、滑らかさを生み出します。

    このキュヴェは過去30年間で10ヴィンテー ジのみのリリースで、

    見事に熟成 した軽快で気品のあるシャンパーニュの模範と言えます!

    泡立ちが限りなく繊細で長く続き、桃や洋梨、ヴァニラなどの香りと、

    蜂蜜やへーゼルナッツなどを思わせるコクのある味わい。

    酸味と深み、複雑味など多くの要素が溶け込んで、

    最高の一時を演出してくれる。

    間違いなく、最高のシャンパーニュの一つです。

    評価:ワインアドヴォケイト誌(パーカーポイント)にて94点を獲得!

    ワインスペクテイター誌にて93点を獲得!

  • 60年代蒸留の幻のマッカラン〜Speymalt from Macallan 1st fill sherry butt 1965/2012〜

    北新地バー 60年代蒸留の幻のマッカラン

    輸入元の業者さんに数年前から、マッカランの60年代シェリーは将来日本に入ってくる可能性が著しく低いと言われておりました。
    しかし、待ちに待った60年代シェリーバットが少量のみ日本に廻ってきました。
    日本限定割り当て60本!
    当店には8本の入荷です。
    以下輸入元のコメントより引用。
    1895年創業、100年以上の歴史がありシングルモルトウイスキーの市場が誕生する前から、
    シングルモルトをボトリングしていたパイオニアである老舗ゴードン&マクファイル(以下GM)社。
    創業当時より販売を続けており、蒸留所との長く深い関係の中で、その歴史を作った同社の代表銘柄、
    シングルモルトNO.1人気の「マッカラン」。
    その一方で、古酒の出荷制限&価格高騰が止まらない一番の影響を受けている古酒「マッカラン」、
    その新作2012年ボトリングがリリースされました! 50年近い熟成の素晴らしい内容の「マッカラン」は、
    100年以上の歴史に基づく蒸留所との関係、 独自のクオリティコントロールを行ってきたGM社にしか成し得ない、
    正に珠玉の「長期熟成マッカラン」です。 大変貴重なこの「長期熟成マッカラン」、日本の割り当て限定数でのご案内です。
    テイスティングノート
    甘口ワインのようなアロマと共に、はっきりとバニラやココアビーンズが広がっていく。かすかに柔らかい果実が、奥底に感じられる。
    バランスがよい。口に含むと甘く、ダークチョコレートや、滑らかでフレッシュな力強さがはっきりと感じられる。
    メンソール香も広がる。優しくとにかく滑らか。
  • パネトーネ

    北新地バー パネトーネ

    クリスマス近くになると、パン屋さんやお菓子屋さんに並びはじめるシュトーレンとパネトーネ。
    その形や名前の由来には様々な説があるようです。
    「物の由来」は、パネトーネはキリスト信仰に厚いイタリアの菓子という事になっているが、
    さかのぼれば原型と言われるものはギリシャ・ローマの時代に存在したといわれます。
    ケーキとパンの境はそれまで判然としなかったが、ギリシャ・ローマ時代に初期のケーキ、タルト・パネトーネ・ドランジェの原型が生まれたとされています。特にローマでは、農業神サターン(ギリシャ伝来といわれるのようだが、実は更に古いイタリアの神らしい)の祭りサトゥルナリアを12月21日から31日まで行っていた(17日から1週間、という説もあり)祭りにこれらの菓子が使われていたようであり、祭礼用ならかなり大きな形状であったろうと言われています。
    饗宴、贈答品の交換「幸運の贈り物」などの風習がありその中で使われ、宗教色と季節の農耕行事色の強い、日本の月見の団子(元々は収穫祭のサトイモが原型)、鏡餅や彼岸の「春のぼたもち」(ボタンの花の餅の意)「秋のおはぎ」(萩の花の餅の意)と同じような位置付けとも言えます。大型で、配合も当時としては贅沢で、パネトーネのパネは「パン」の意、トーネは「大きい」の意味といわれます。菓子屋の「トニーのパン」といわれる説は後世のもじり話しかも知れません。
    つまり、「トニー」は日本で言えば「大介」「大作」など、子供が大きくなる願いを込めた命名を指します。その事自体をしゃれて読み替えたともみられる「トニーのパン」説の逸話は以下の内容です。
    ・ ・・・・『イタリアの「パネトーネ」は、トニーのパンという意味で、トーネとはトニーというお菓子屋の職人のことで、年頃の娘を大切にしていた。その娘と結婚したいという青年が現われた。しかし、貧乏な菓子屋の娘では彼の家族が結婚を認めてくれないので、クリスマスの前に青年は自分が猟に使っていた鷹を売って、そのお金で菓子屋のトニーに最上の小麦粉、卵、バター、その頃はあまり使われていなかった干しぶどうとレモンを買い、クリスマスケーキをつくらせたら、これが爆発的に売れてトニーはたくさんの資金が溜まった。お金に目のない青年の家族は、難なく娘を迎え入れたというめでたい結末となった。』・・・・
    この方がロマンチックではあります。
    ● パネトーネが作られるようになったのは、3世紀とも、15世紀ともいわれます。15世紀ならメディチ家などの反映の様に、イタリアでも拝金主義と一攫千金の夢がまだ残っていた時期でもあります。パネトーネを「長者ばなし」の様に扱ったのも頷けなくはありません。また、3世紀ならローマ期のキリスト教の普及、15世紀でも宗教改革など、いずれにせよキリスト教勢力下の様々な動きの時期に符合します。
    ● 特に12月25日のクリスマスは冬至の「後」で太陽がよみがえる日として記念されました。これは、ミトラ教(元ペルシアの大神、インドヨーロッパ民族の古い神)の祝いの日と符合し、かたやキリスト教はローマ人の間では軍人の間で崇拝され、ヨーロッパ各地に伝播する機会を得ました。その為、後世にキリスト教の儀式としてクリスマスが定着したのです。ミトラ教の祭りでもこの冬至には「不滅の太陽の生誕日」の意味があり、キリスト教の指導者達がこうした農耕上の祭りに主イエスキリストの降誕を結びつけたのが「クリスマス」の始まりです。キリスト教でも救い主は「義の太陽」とされていたので拒絶はなく広まったようです。(歴史的にはキリスト教の普及に伴い、コンスタンティヌス大帝はミトラ教の太陽礼拝の日をキリスト教の「主の日」と結合して321年に公式に週1回の役人の休日にしており、この事でパネトーネの原型もローマの伝統神の儀式からキリスト教の儀式の一部として継承される事になります。)
    ● キリスト教初期には日付は一定しないで1月6日、3月21日(春分)、12月25日のいずれかが選ばれていた。325年のニケア公会議で12月25日に決定.ローマ教会が12月25日に降誕祭を行うようになるのは354年(教皇ユリウス1世)以降のことで、379年からギリシャ教会もこれに従うこととなったと言います。のちに中世ではクリスマスはバカ騒ぎ、カーニバル、一種の混成的宗教行事として存続したそうです。
    ● その食べられ方
    パネトーネはレーズンやサルタナ、レモン、オレンジなどのドライフルーツが入った明るい卵黄色の円筒形のパンです。糖分が多いのにそう甘くなく、卵とバター とフルーツの芳しく穏やかな香りがして、食べ口も軽いので人気です。イタリアの各地でつくられ、特に名高いのはミラノのもので、別名「ミラノのドーム形の菓子」「ミラノのカステラ風菓子」とも言われるようです。クリスマスとそれに続く祝日に欠かせないもので、パネトーネ種を使うと焼成後も保水性があり、独特の芳香で長期間保存できるため、クリスマスプレゼントして海外にも盛んに送られています。イタリアでは、クリスマスのほかバレンタイン、イースターなどお祝いの席には欠かせません。
    太陽の国、イタリアのクリスマスはクリスマス・イブのお祭りという感じらしく、色とりどりの花が飾られ、都会では花火や大砲が轟き、教会では深夜のミサが盛大に行われます。
    宗教色の有る点は、パネトーネの頭部に十字が刻まれたものが多い事。また、これを縦に切り分け、皆で分け合い食べるといいます。
    分け合って食べる物や、何日か食べつづけるものは、日本の古神道や、古い儀式にもありますし、食べ物の形や、飾り付けや等に意味をもたせるのは、おせちのゴマメ、コブ、数の子、かしら芋、かち栗、お屠蘇などにもみられるもの。似ているかもしれません。
    焼き立てのパネトーネは、底に金串が刺され、逆さにされて冷まされます。
    12月の店内では、タイミングが良いと、焼き立てのパネトーネの甘い香りと
    写真のような風景に出会うことが出来ます。

    クリスマス近くになると、パン屋さんやお菓子屋さんに並びはじめるシュトーレンとパネトーネ。その形や名前の由来には様々な説があるようです。
    「物の由来」は、パネトーネはキリスト信仰に厚いイタリアの菓子という事になっているが、さかのぼれば原型と言われるものはギリシャ・ローマの時代に存在したといわれます。ケーキとパンの境はそれまで判然としなかったが、ギリシャ・ローマ時代に初期のケーキ、タルト・パネトーネ・ドランジェの原型が生まれたとされています。特にローマでは、農業神サターン(ギリシャ伝来といわれるのようだが、実は更に古いイタリアの神らしい)の祭りサトゥルナリアを12月21日から31日まで行っていた(17日から1週間、という説もあり)祭りにこれらの菓子が使われていたようであり、祭礼用ならかなり大きな形状であったろうと言われています。饗宴、贈答品の交換「幸運の贈り物」などの風習がありその中で使われ、宗教色と季節の農耕行事色の強い、日本の月見の団子(元々は収穫祭のサトイモが原型)、鏡餅や彼岸の「春のぼたもち」(ボタンの花の餅の意)「秋のおはぎ」(萩の花の餅の意)と同じような位置付けとも言えます。大型で、配合も当時としては贅沢で、パネトーネのパネは「パン」の意、トーネは「大きい」の意味といわれます。菓子屋の「トニーのパン」といわれる説は後世のもじり話しかも知れません。つまり、「トニー」は日本で言えば「大介」「大作」など、子供が大きくなる願いを込めた命名を指します。その事自体をしゃれて読み替えたともみられる「トニーのパン」説の逸話は以下の内容です。
    ・ ・・・・『イタリアの「パネトーネ」は、トニーのパンという意味で、トーネとはトニーというお菓子屋の職人のことで、年頃の娘を大切にしていた。その娘と結婚したいという青年が現われた。しかし、貧乏な菓子屋の娘では彼の家族が結婚を認めてくれないので、クリスマスの前に青年は自分が猟に使っていた鷹を売って、そのお金で菓子屋のトニーに最上の小麦粉、卵、バター、その頃はあまり使われていなかった干しぶどうとレモンを買い、クリスマスケーキをつくらせたら、これが爆発的に売れてトニーはたくさんの資金が溜まった。お金に目のない青年の家族は、難なく娘を迎え入れたというめでたい結末となった。』・・・・
    この方がロマンチックではあります。
    ● パネトーネが作られるようになったのは、3世紀とも、15世紀ともいわれます。15世紀ならメディチ家などの反映の様に、イタリアでも拝金主義と一攫千金の夢がまだ残っていた時期でもあります。パネトーネを「長者ばなし」の様に扱ったのも頷けなくはありません。また、3世紀ならローマ期のキリスト教の普及、15世紀でも宗教改革など、いずれにせよキリスト教勢力下の様々な動きの時期に符合します。
    ● 特に12月25日のクリスマスは冬至の「後」で太陽がよみがえる日として記念されました。これは、ミトラ教(元ペルシアの大神、インドヨーロッパ民族の古い神)の祝いの日と符合し、かたやキリスト教はローマ人の間では軍人の間で崇拝され、ヨーロッパ各地に伝播する機会を得ました。その為、後世にキリスト教の儀式としてクリスマスが定着したのです。ミトラ教の祭りでもこの冬至には「不滅の太陽の生誕日」の意味があり、キリスト教の指導者達がこうした農耕上の祭りに主イエスキリストの降誕を結びつけたのが「クリスマス」の始まりです。キリスト教でも救い主は「義の太陽」とされていたので拒絶はなく広まったようです。(歴史的にはキリスト教の普及に伴い、コンスタンティヌス大帝はミトラ教の太陽礼拝の日をキリスト教の「主の日」と結合して321年に公式に週1回の役人の休日にしており、この事でパネトーネの原型もローマの伝統神の儀式からキリスト教の儀式の一部として継承される事になります。)
    ● キリスト教初期には日付は一定しないで1月6日、3月21日(春分)、12月25日のいずれかが選ばれていた。325年のニケア公会議で12月25日に決定.ローマ教会が12月25日に降誕祭を行うようになるのは354年(教皇ユリウス1世)以降のことで、379年からギリシャ教会もこれに従うこととなったと言います。のちに中世ではクリスマスはバカ騒ぎ、カーニバル、一種の混成的宗教行事として存続したそうです。
    ● その食べられ方パネトーネはレーズンやサルタナ、レモン、オレンジなどのドライフルーツが入った明るい卵黄色の円筒形のパンです。糖分が多いのにそう甘くなく、卵とバター とフルーツの芳しく穏やかな香りがして、食べ口も軽いので人気です。イタリアの各地でつくられ、特に名高いのはミラノのもので、別名「ミラノのドーム形の菓子」「ミラノのカステラ風菓子」とも言われるようです。クリスマスとそれに続く祝日に欠かせないもので、パネトーネ種を使うと焼成後も保水性があり、独特の芳香で長期間保存できるため、クリスマスプレゼントして海外にも盛んに送られています。イタリアでは、クリスマスのほかバレンタイン、イースターなどお祝いの席には欠かせません。太陽の国、イタリアのクリスマスはクリスマス・イブのお祭りという感じらしく、色とりどりの花が飾られ、都会では花火や大砲が轟き、教会では深夜のミサが盛大に行われます。宗教色の有る点は、パネトーネの頭部に十字が刻まれたものが多い事。また、これを縦に切り分け、皆で分け合い食べるといいます。分け合って食べる物や、何日か食べつづけるものは、日本の古神道や、古い儀式にもありますし、食べ物の形や、飾り付けや等に意味をもたせるのは、おせちのゴマメ、コブ、数の子、かしら芋、かち栗、お屠蘇などにもみられるもの。似ているかもしれません。

    焼き立てのパネトーネは、底に金串が刺され、逆さにされて冷まされます。12月の店内では、タイミングが良いと、焼き立てのパネトーネの甘い香りと写真のような風景に出会うことが出来ます。

    パネトーネは、イタリアの自然酵母パネトーネ種を使用。卵たっぷりの甘い生地にレーズン、オレンジピールなどのドライフルーツを混ぜ合わせ焼き上げた風味豊かな発酵パン菓子です。

    パネトーネ種は大変扱いが難しく、専門的な製パン技術が必要なため、本場イタリアでも家庭で作らず購入するのが一般的。パネトーネは、パンでは絶対に味わうことのできない柔らかな口当たりに、何とも言えない複雑な味わいとドライフルーツの組み合わせが、絶妙な発酵パン菓子です。

    【メーカー情報】

    1938年創業。代々受け継がれた昔ながらの製法による、デリケートでしっとりした味わいで、各種のグルメ系ガイドブックでも評価の高いロイソン社。世界中の美食家を虜にする、プレミアム・パネットーネの作り手です。

    【商品情報】

    ウマニロンキはマルケ州を代表するワイナリー。マルケ州の聖人「聖ロレンツォ」に因んで造られる同社の赤ワインに、サルタナレーズンを浸し、焼き上げました。赤ワインのほのかな香りが大人らしいパネットーネです。【大きさ】D220×W220×H200mm 【重量】760g

    【内容量】750g

    【原材料名】小麦粉、サルタナレーズン、卵黄、砂糖、バター、赤ワイン(“サン・ロレンツォ” ロッソ・コーネロ)、天然酵母、食塩、植物油、乳化剤、香料、酸化防止剤(V.C.)

    【保存方法】常温

    【原産国】イタリア

    【賞味期限】2013/2/28

  • コングスガードとハーラン

    かなり希少なワインが入荷致しました。

    カルフォルニア、ナパ・バレーの「コングスガード」

    2005年のカベルネが6本と、

    2006年のシャルドネ・ザ・ジャッジが3本。

    同じく2007年のジャッジが1本。

    さらに、ハーラン・エステートのメイデン、2000年が3本、2007年が7本。

    写真には写っていませんが、

    ハーランの1998年3本、2000年1本、2004年3本、2006年1本。

    北新地バー コングスガードとハーラン

    ◇ コングスガード ◇
    ジョン・コングスガード氏。彼は学生時代、音楽家を目指す少年でした。教授を目指してコロラド大学の音楽科に進学。
    実家は牧場を営んでいました。まだワイナリーなどナパに十数軒しかなかった時代です。
    ところが彼が大学を卒業して実家に帰った丁度その頃、ナパでは本格的なワインブームの到来を見せ始め、
    たった4年でワイナリーの数は100を越えるまでになったのです。
    これが運命の歯車というものでしょうか、ジョンは悩みました。
    「家には広大な土地がある。ここでワイン造りをすれば、愛する土地で愛する家族と共に仕事ができる。しかしこれまでプロを目指して歩んできた音楽の道をあきらめてしまっていいものか…。」
    迷った挙句、彼が出した答えはこうでした。カリフォルニア大学デイヴィス校への入学。
    そう、彼はワイン造りの道を選んだのです!
    カリフォルニアにおけるワイン醸造学・栽培学の総本山であるデイヴィス校を卒業した後は、かの 『ニュートン』 に就職。
    実家で祖父が造る葡萄を持ち込み、シャルドネを担当します。
    1988年には米国で初めてのアンフィルター・ワインを造るなどし、
    コングスガード氏の腕によりニュートンは今や押しも押されぬスーパースターになりました。
    ニュートンで十分な技術と知識を身につけた彼は、いよいよ1996年に自身のブランドとして 『コングスガード』 を発表。
    ファーストビンテージにしていきなり【WS95点/RP92点】という鮮烈のデビューを飾ります。
    突如表れたこのスター・ブランドに業界は騒然となったものでした。
    あっというまにワインスペクテイター誌でも星の数ほどあるワイナリーの中からトップ25の五つ星ワイナリーに認定。
    パーカー氏からもシャルドネの【★★★★★】生産者にチョイスされ、
    アメリカン・ワイン・アワード2004の【Winemaker of the Year】にも輝き、
    たちまち加州最上のシャルドネ・スターへと見事な躍進を遂げます。
    現在では『マーカッシン』 『キスラー』 『オベール』 とともに、
    加州シャルドネでたった4生産者しか存在しない【RP99点】シャルドネ排出元(2008.11現在)として知られ、
    フラグシップの 『ザ・ジャッジ』は毎年たった15樽前後しか仕込まれぬことからまさに究極のシャルドネとして知られ、
    これを捜し求めるファンは数知れず…。
    そのほかにもヴィオニエ&ルーサンヌ、シラー、カベルネ(そして過去には丸秘メルローも…)などを手がけ、
    いずれの作品をも高い次元での完成度を誇ります。
    一般的に知られるコングスガードのラインナップは、シャルドネ/ジャッジ/シラーの3種で、
    この3種としてもいずれも大変希少作となりますが、
    そのほかにコングスガードには一般流通のあまり見られないさらなるマニアック・アイテムがあと3種存在し、
    計6種でフルラインナップとなります。
    うち後者の秘蔵品の1つがこちらの 『ナパ・カベ』 です。
    シャルドネで鳴らすコングスガードのカベルネ!?と市場を沸かせた今作、あるあるとその存在が噂されながらもなかなか姿を見せず、
    2005年に公式デヴューを飾ったようですが、どうやら非公式にてもっと以前から造られていたようです。
    年産は公式ラインナップとして加わった現在でも≪400ケース~500ケース≫程度の希少作となっています。
    ▼ナパ・カベルネ(Napa Cabernet)
    【RP100点】獲得生産者 『エイブリュー』 の 『マドローナ・ランチ』 の東丘に位置するコングスガードのカベルネ・ブロックは1000本の樹が植わり、
    メドックからの4つのクローンが栽培されています。栽培コンサルタントはデヴィッド・エイブリュー氏。
    タンニンとバランスの融合をキーとし、満足度十分な強さ・パワーを誇りながら、シルキーで輝ける美しき道中や余韻を絶対に手放しません。
    毎年≪400ケース~500ケース≫程度。
    ■2005年:RP94点 ■2007年:RP94点 ■2008年:RP90-92点
    ▼ザ・ジャッジ(The Judge)
    カリフォルニアが誇る至高のシャルドネにして、魔性の媚薬シャルドネ 『ザ・ジャッジ』。
    毎年生産量は5~15樽程度で、パーカー氏は「DRCモンラッシェのカリフォルニア版」と表現しながら、
    その実、スコアの観点では既にDRCモンラッシェより「格上」の事実を自らの著書にいくつも残してしまっていることを考えれば、
    カリフォルニア産シャルドネで最も高尚な作品である…という氏のコメントも
    「世界のシャルドネの中でも最も高尚。」の誤りではなかと感じてしまいます。
    3年連続【RP98点】以上を獲得する、全米唯一、たったひとつのシャルドネ 『ザ・ジャッジ』 は、
    26年間裁判官(Judge)として勤め上げたジョン・コングスガード氏の亡き父への敬意から命名されたもの。
    果実はナパの街を東に向かうと間髪入れずにその姿を現す岩石質の丘にある自社畑 『コングスガード・ファミリー・ヴィンヤード』 から。
    ジョン氏の祖父母が手に入れ、そして父から譲り受けた土地です。毎年1点「完璧」ただそれのみを追求し、収量は1エーカーあたり約1トン。
    あのハーランの半分です…。さらに最も出来の良い区画のみを毎年決定し、そこからの果実を選ばれた数名の摘み人により丹念に手摘み。
    それらの中でも良い状態の果実をさらに厳選し、コングスガード氏が自ら「黄金のフルーツ」と呼ぶ、
    最上畑の最上区画の最上の葡萄のみがジャッジになることを許されます。
    そのため1本の葡萄樹から取れる果汁はわずかたったボトル半分(約375ml)だけ。
    まさしく “神の雫” を集めて産み落とされる至高のシャルドネです。
    100%新樽のブルゴーニュ産フレンチ・オークにて土着酵母とともに発酵。約2年間の樽熟の後、無ろ過・無清澄にてボトル詰めされます。
    ■2004年:RP98点 ■2005年:RP98点 ■2006年:RP96-98点
    先日、待望のパーカー監修ワインアドヴォケイト最新号#186が発刊となり、
    今回特集された「北カリフォルニア」にて970本ものワインが新規レイティングとなりました。
    中でも特集中No.1白ワインにあたる【RP98点+】を獲得したシャルドネこそが今作ジャッジの2007年でした。
    これにてアドヴォケイト掲載の6ヴィンテージ中、5ヴィンテージがRP97点オーバー…。
    キスラー/マーカッサン/オベール/ピーター・マイケルと共に加州5大シャルドネと呼ばれる事もあるジャッジですが、
    此処の実力は頭一つ抜けてきたでしょうか…。
    ◆ ハーラン・エステート ◆
    オーナーの“ウィリアム・ハーラン”――1940年生まれ――はカリフォルニア大バークレー校で 学んでいた1950年代後半、ナパをたびたび訪れ、広々と緑 がうねる牧歌的風景に魅せられ、その地でのワインづくりの思いが芽生えるようになりました。
    しかし卒業後ワイン関係の仕事に就いたわけではなく、事業とし てはゴルフ場開発、 ホテル経営等を手掛ける不動産デヴェロッパーとして、
    大きな成功をおさめました。
    これを機に、以前から抱いていた、“世界でトップ・クラスのワインを自らの手でつくりあげる” という夢を実現するため、
    その一歩を踏み出し、1980年代 半ばからぶどう畑用の土地の購入を始めました――現在ではおよそ100ヘクタールにまで 広がりました――。
    それらはナパの中心地帯ともいうべきオークヴィ ルの西に位置する丘陵
    ――すそ野には有名なマーサズ・ヴィンヤードやト・カロンが あります――にあり、
    そのなかの標高100~180メートル付近、約15 ヘクタールほどのかなりの傾斜地にぶどうは植えられています。
    その3分の2が カベルネソーヴィニヨン、残りがメルロとカベルネフランそれにごく少量のプ ティヴェルドとなっています。
    ぶどう栽培とワインづくりを担当しているのは“ロバート・レヴィ”です。
    カリフォルニア大デイヴィス校を出た後いくつかのワイナリーを経て、1980年代 前半、ウィリアム・ハーランも出資していた『メリーヴェル』のワイン・メーカーとなりますが、
    ハーランがメリーヴェルを売却する1998年まで、ハーラン とメリーヴェル、ふたつのワイン・メーカーを兼務していました。
    同時にボルドーの有名な ワイン・コンサルタント、“ミシェル・ロラン”もハーランの最初期 から参画しています。
    ほとんど黒に近い色調でパワー溢れる濃厚なワインでありながら、たいへん柔らかな タンニンが滑らかさを付与し、
    しっかりした酸が凝縮感に富みながらも優雅 さを感じさせる。
    これこそがハーランをハーランたらしめている点といえましょう。
    それは畑での、ぶどうの成分の凝縮をねらっての徹底した収量の抑制、加え て糖分を上げるためだけではなく、
    タンニンを熟させるための遅い収穫、 という2点からもたらされます。
    収穫されたぶどうは除梗された後、多くの人手により 厳しい選果を経て発酵タンクにおくられますが、
    そのタンクはステンレスとオークを併用しています。
    当然ヴィンテージ毎に異なるとはいえ、高い温度で1ヵ月 以上におよぶ発酵というのが基本のスタイルです。
    90年ヴィンテージが最初のリリースとなったハーランですが、発表と同時に一大センセーションを 巻き起こし、
    その後もパーカーが94年と97年、そして01年、02年の4回、100点 満点を献上するなど、
    瞬く間にカリフォルニア・ワインの最高峰に駆け上りました。
    95年ヴィンテージからはセカンド・ラベルのメイデンの生産を開始、
    97年にはワイナリーも完成――それまでのワインはメリーヴェルで醸造――しました。
    また新たに99年ヴィンテージからは、ハーランとは別にボンドの 名のもと、
    メルバリーとヴェシーナ――2001年ヴィンテージからはこれにセント・エデン という銘柄も加わります――、
    2種の赤をリリースと、大きな躍進 を続けるハーランであります。
    ▼メイデン
    はハーランのセカンド・ラベルにあたります。
    ファースト・ヴィンテージは1995年です。
    醸造責任者はハーランと同じボブ・レヴィ(Bob Levy)。 コンサルタントはミシェル・ロラン(Michael Roland)。
    栽培管理者はメアリー・ホール(Mary Hall)/ジェリー・シュリンク(Jerry Schlink)。
    自社畑38エーカーの栽培品種はカベルネ・ソーヴィニヨン(70%)、メルロ(20%)、カベルネ・フラン(8%)、プティ・ヴェルド(2%)
    すべてヒルサイドに段々畑状に密集して植樹されており、土壌はフランシスカン頁岩という粉砕された岩石が表面を覆っています。
    使用果実は全てハーラン・エステートと全く同じですが、品種構成がハーランと比べてカベルネ・フランの比率が高くなっています。
    カベルネ・ソーヴィニヨンが2/3、残りがカベルネ・フランとメルロです。
    ナパ・ヴァレーのラ・ミッション・オーブリオン、シュバル・ブランとロバート・パーカーは評しています。
    ブドウの収穫は手摘みし、細心の注意を払って粒よりし、徐梗します。
    (房ごとの選果ではなく、実ごとの選果です。)果皮をつけたまま発酵、
    ステンレスタンクと小さいオークの垂直桶をくみあわせて長い醸し期間をとります。
    メイデンは偉大さ、個性、力強さと優美さ、強烈なまでの複雑味、長熟性と、けして重たすぎることのない豊潤さを兼ね備えています。
    初ヴィンテージは1995年ですが、わずか2ケースのリリースでした。
    翌96年も2ケースのリリースでした。日本には2006年が初の輸入でしたが、2007年は収穫量が少なかった為、輸出はゼロでした。
    ▼ハーラン
    ワイン通なら垂涎のカルトワインパーカーポイント100点を5回獲得
    ハーラン・エステイトは世界の偉大なワインと匹敵するワインを生み出すことを目標に不動産業で一財を築いたビル・ハーラン氏が
    1984年にオークヴィルに興された。ブドウ畑は、等高線にそった段々畑。
    もっとも適正な場所にカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルドが植えられている。
    これらの品種からも分かる通りに、目指すは、ボルドー、メドックの頂点に君臨する5大シャトー。
    ワインメーカーはボブ・レヴィ、コンサルタントはミッシェル・ローラン。
    パーカーはハーランに1994年、97年、01年、02年、07年と5回100ポイントをつけた。
    世界にあまたあるワインの最高峰といえるだろう。2009年に初めて日本に正式輸入されることになった。
    ハーランは偉大なクラシック・ブレンドと評され、際立つ凝縮感、複雑さ、味わい深さと洗練されたタンニン、
    エステートのユニークな特徴を存分に表した官能的な長い後味を持ちます。
    自社畑38エーカーの栽培品種:カベルネ・ソーヴィニヨン(70%)、メルロ(20%)、カベルネ・フラン(8%)、プティ・ヴェルド(2%)
    すべてヒルサイドに段々畑状に密集して植樹されており、土壌はフランシスカン頁岩という粉砕された岩石が表面を覆っている。
    1/3が堆積土壌、2/3が火山性土壌。
    ワイン醸造:ブドウの収穫は手摘みし、細心の注意を払って選果し、徐梗する。
    果皮をつけたまま発酵、ステンレスタンクと小さいオークの垂直桶をくみあわせて長い醸し期間をとる。
    ヴィンテージにより225Lサイズのバリックで発酵させるが、その際はパンピングオオーバーをせず、樽を転がすことで同じ効果をだしている。
    二酸化炭素が抜ける蓋を使用している。
    20から25ヶ月間、フランス中部産のミディアム・トーストのオーク新樽で熟成させる。
    第二次発酵(マロラクティック発酵)は熟成中に樽で行う。余計な手を加えず、清澄、濾過せずに瓶詰めする。